スペイン警察憲兵のロマンセ

 肺病を患って死ぬ直前の姿が、姉の二十一年の生涯の中で最も美しかった。
 私が学校から帰宅すると、藍色のカーディガンをはおった姉が病床のベッドから、
「おかえりなさい」
 と優しく微笑んでくれたこと、そしてそのやせこけたほほに浮かぶ死の臭いがむしろことさら姉の容姿の麗しさをひきたて、『終末の美しさ』とでも表現すべき雰囲気を醸し出していたことを、今でも思い出す。

 姉は体の調子がわずかに良いときなどに、自分の長いつややかな黒髪を私に櫛(くし)ですかせるのを好んだ。私は姉に愛されていた。もちろん、私も死にゆく姉をこれ以上なく狂おしいばかりに愛していた。

 姉は髪の毛を私の手にゆだねたまま背中を向けて穏やかにつぶやく。

「あのね、むかし読んだ詩集の中にね、『スペイン警察憲兵のロマンセ』という題名の詩があったの」

 私は髪をすく手を止めず、ただ黙って姉の言葉の続きを待った。

「詩の内容はもうすっかり忘れちゃったけど」

 くすりと、小さく姉が微笑む。

「『スペイン警察憲兵のロマンセ』という題名自体が、もうすでに美しいひとつの詩になってると思わない?」

 姉が肩越しに振り返り私の方を見た。私は姉と目を合わさず、ただこくんとうなずいただけだった。

 ――やがて姉の病状は悪化の一途をたどり、自身の髪の毛をすくことを私に求めることも最早なくなった。

 その年の冬の暮れだった。苦痛を訴えることもなく静かに安らかなまま、姉は逝った。

 以来――私は、手元に残された姉の形見の櫛をことあるごとに眺めるようになった。そして、静かにひとりごちるのが習わしとなったのだった。

「スペイン警察憲兵のロマンセ」

と。