冬季戦役の詩
大学の、文芸室のことだった。
ドアを開け、室内に入ると他の部員はおらず、ただ一人、三回生の先輩の京子さんが部屋の奥の椅子に腰かけ、文庫本のページをめくっていた。
先輩は時おりほほにかかる長い黒髪をわずらわしげにかきあげ、読書を続けていた。
私は部室のすみに無言で腰かけ、煙草に火をつけ、本を読み進める先輩の整った横顔を眺めていた。
不意に、先輩が声を出して本の朗読を始めた。
「雪が頂に積もっている
そこに天の貯蔵庫が
真昼に乾いた富を放出する。
山並みは動かず、その不動を
殺された者たちの身体に伝える」
そうつぶやくと先輩は手元の文庫本から目を上げ、黒い瞳でじっと私の方を見つめてきた。
――何を読んでいるんですか?
私はたずねた。
すると先輩は再びほほにかかった髪をかきあげ、
――『ソヴィエト名詩選』。今のはヨシフ・ブロツキーの詩、題名は『1980年の冬季戦役の詩』
と答えた。
――先輩は詩を声に出して読むのが好きですね。いつも変わった詩を部室で朗読して人に聞かせる
――そうよ。――詩とは本来、くちずさんで読んでこそその価値が生まれるのよ。そう思わない? うるさかった?
そうして少しにらむように目を細め私に視線を向けてきた。
――ところで、ね
――はい、なんでしょう
――『1980年の冬季戦役の詩』って、やっぱりアフガニスタンのことをうたっているのかしら。1980年だし。
――さあ、僕に聞かれても……
――そう。やっぱりわからないか
はじめから答えを期待していなかったのか、先輩はすぐに私からひとみをそらすと、再び目線を下げ、本の詩に没頭し始めた。
私は再び煙草に火をつけた。そして、ソヴィエトの詩に読みいる先輩の横顔を、そっと静かに眺め続けた。