リジイア
E・A・ポーの小説の文章は、E・A・ポーがあの時代に書いたからこそ評価されるのであって、
もし、彼が現代の作家だったとしたら、その文章はいわゆる『悪文』の代表みたいに
批判されるのではないだろうか。
装飾過多、修辞の悪酔い、衒学趣味、くどさの見本――そんな風にポーの文章表現は
けなされる気がする。
でも、私はポーの小説のそんな風な語り口が好きだ。
特に、掌編『リジイア』におけるヒロインの容姿の描写など、読んでいてぞくぞくさせられる。
ポーが書き出すその文章世界の女性像に私はひどく魅了されてやまない。
「身の丈は高くややか細く、逝くまえのころは痩せおとろえてさえいた。
ものごしの壮麗さと静謐なやすらかさ、その足取りのいいようもない
軽やかな弾み、それを描こうとつとめても甲斐ないわざだ。彼女は
影のように近づき、影のように立ち去った。締め切った書斎に私が
こもっていたときなど、その大理石のような手を私の肩におきながら、
低く美しい声の音楽をひびかすまでは、いつ入ってきたとも気づく
ことはなかった。容顔のうるわしさといえば、彼女に比べうる乙女はない。
それは阿片の夢の光耀であった――(阿部知二訳)」