『父、帰る』

ロシア映画の多大な創造性とその精力的な発展の可能性の証拠を示した」

    ウラジミール・プーチン ロシア連邦大統領 
ロシア映画父、帰る』への本人からのメッセージ)


連邦国家保安委員会(旧KGB)第1総局(対外諜報)出身の元情報将校、プーチン大統領ご推薦の、

『父、帰る』

を日比谷の映画館に知人と観にいった。



一緒に鑑賞した知人は、「傑作だ!」と感動していた。

私は、それほどいい映画だとは思わなかった。

この映画の主題は、「父と息子という関係、この両者が相互に真に愛し合うことの絶望的なまでの不可能性」

その辺ではないかと個人的には推察しているのだが(二次的なテーマとして、『情報工作員という人生の悲哀』もあるのでは?)、
父親と息子という存在がお互いに愛し合おうとしてもそれは結局失敗に終わるということは、
古代の神話物語の時代から何度となく繰り返し述べられていることであり、また私は現代心理学の専門知識については非常に疎いが、
同じようなことを主張している学説は多々あるのではないだろうか?

そのようなある意味手垢のついた「よくあるテーマ」をどう料理しているか、その辺について観客の評価は
分かれると思うが、
私個人としては、
とあるインタビューに答えて、

 「そうだ、(父は)息子なんか決して愛さない!」

と吐き捨てるように言った、アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画、

『ファーザー、サン』

の方が完成度が高いと考える。

自分を愛さなかった父親に対する激しい愛憎がこめられておりながら、
しかし登場人物の単なる激情を吐露するだけの、お手軽なカタルシスを求めた凡庸な作りの物語ではなく、
「静謐な諦観」とでもいった感情抑制が作品全体を包み込んでいて、むしろ逆にその作中人物たちの穏やかな語り口から、
観客には彼らの内面の深い絶望感が伝わってきて、この、
「たとえ親兄弟であろうが夫婦であろうが、はたまた恋人、親友同士であっても、究極的には真に愛し理解しあうことはできない、それは単なる幻想に過ぎない」
という、『愛の不可能性』の主張、それを否応なしに認識させられるのです。

そんな映画を撮るソクーロフは悲しい人だし、それをわざわざ観にいく世の一部の人々も悲しい人たちだと思う。



しかし、
『神無月の巫女』の二人の巫女、太陽の巫女と月の巫女の「同性としての友情を超えたプラトニック百合ラブパワー」、これだけはガチで本物だと思う。
OP映像の一緒に手をつなぎ微笑み走る二人のあの仲睦まじい姿が、あらゆる反証を無効化していることに、誰も異存ははさめないであろう。