『マリア様がみてる−春−』を観て自殺

他の人はどうだか知らないが、私の場合、『マリア様がみてる』のアニメを観てると鬱になって死にたくなる。
その、マリみてワールドのあまりの無邪気な平和さっぷりにもうオレ怒り心頭、そして後、反転して抑鬱状態になるわけで。
セカイ系って言葉、たぶん、こういう作品を評するために在るんだと思う。
でも。
国語の授業とかで、先生に指された志摩子さんが教科書に載ってる『野火』の冒頭を朗読するシーンとか今後出てくるなら、
セカイ系じゃないと思う、マリみて
自分でも書いてて何いいたいのかよくわかんないけど。

 私がシベリヤで、くりかえしくりかえし自分にいい聞かせてきた言葉――
滅びなければならない時が来たら、いつでもしずかに滅びて行こうという言葉を、
ようやく私は忘れはじめたのではないか。だが、帰還直後しばしば私をおそった、
あの痛みにみちた安らぎがふたたび私にかえってきたような気がする。
私の父は、私の知らない時に、場末の小さな病院で、誰にも知られずに死んで行った。
私はそのことを胸が裂けるような思いで聞いたが、そのような死こそ人間にとってふさわしいのだ。
私たちの周囲にすでに色濃くただよっている死のにおいを、いちはやくかぎとった者にだけ、
すでに安定が失われ、危機に膚接している生のただなかで、誰よりもしっかりとした安定があるのだ。

石原吉郎『望郷と海』