なんとなく北へ。

我々イラク人は、アラブ民謡を愛しています。
そう、それは、アラブの心と言っても過言ではありません。

私の父はイラク・イラン戦争に従軍し、かのスターリングラード攻防戦に比して語られるほど熾烈だった
バスラ防衛戦を戦い抜き、祖国イラクの国土を守り抜いた、英雄的兵士でした。

そんな父がのちに語ってくれた話ですが、激しい戦闘の毎日の中、塹壕において、
父や部隊の仲間たちの心を癒してくれたのは、SONY製のカセットテーププレイヤーから流れる、
ダビングにダビングを重ねてすりきれた音の、アラブ民謡のメロディーだったとの事です。

かようなまでに我々イラク人は、アラブ民謡を強く愛していますが、さて、よく言われることですが、
この国ニホンの『演歌』と、アラブ民謡はその歌の旋律、メロディーが驚くほど似ているのです。

実際、私もニホンの大学に留学してきて、JR神田駅そばのアルバイト先の居酒屋で皿洗いをしていた時、
初めて耳にした有線放送の演歌の歌声に、その日本語の歌詞の意味がわからなくても、なにか故郷の歌を聞いているかのような錯覚を
切ないまでの郷愁と共に感じ取ったことが、今でもありありと思い出されます。

そんなわけで、PS2ゲームの『北へ。ダイヤモンドダスト』のミュージックCDを
カーステレオに突っ込んで、曲を聴きながら、千葉県の国道16号線をアルバイトの
赤帽軽トラックを走らせていると、得も言われぬ望郷の想いが、切々と、胸を打って、
思わず涙が目の端からこぼれ落ちそうになってしまうのです。

特に、一曲目の「なんとなく北へ」、これは名曲です。
そこに唄われるのは、まだ見ぬ異郷への憧憬であり、ある種の既視感を伴った追慕でもあり、
そしてこの世に苦しみの途絶えぬ日はないがまた決して安っぽいニヒリズムに屈することも
容認しないという、市井の庶民の力強い心、その朗らかな楽天性を高らかに唄っている内容の歌でもあるのです。

「なんとなく北へ」、この歌の根っこにある物は、まさに、我らのアラブ民謡の心髄である「哀愁(エレジー)」と
まったく同一の何かであるといっても過言ではありません。

私はこの曲を聴くたびに、現在の故国イラクの置かれている苦境と、その中で
生きている同胞たちの姿を思い出し、
涙を、己自身に禁ずることができないのです。