ソ軍が国境を越えた日に

 ロシアはナホトカから、ガラス工芸を学ぶために来日してきたターニャ・リピンスキー嬢。小樽以外の日本をあまり知らない彼女のために、私は夏の札幌を案内して回った。すすき野では私の知人の親が経営する寿司屋に入り、昼食をごちそうした。
 生まれて初めて見るイクラ軍艦巻きをしげしげと眺めるターニャ。
 「ロシアでも、魚の卵のことをイクラー(икра)と言うんです。そうデスカ。日本でも魚の卵はイクラーと呼ぶのですか。面白いデス」
 ナホトカにいた頃、ラジオに入る短波放送を聞いて独学したという片言の日本語が微笑ましい。そうして慣れない箸の手つきで、おずおずと、口の中にイクラを運ぶ彼女。瞬間ワサビに鼻をつんとさせて涙ぐみ、眉間にしわを寄せる。そんな姿を見ていると、なんだか私はほのぼのとしてきて、以外と人と人との間には国境など問題ではなく、人種もイデオロギーも越えて同じ人間同士として心安くつきあえるのではないかという思いが、してくるのだった。
 正直言って、ターニャという名のこの少女と出会うまで、私は、ロシア人に対してあまり良いイメージを持っていなかった。今世紀、この日本とロシアという国の間における北方交流史は、常に血塗られた陰惨なものであった。日露の戦役では両軍の将兵が一年近くの間悲惨な戦闘を継続し、のちのシベリア干渉戦争では、日本軍はイルクーツクまで侵攻する過程で多くのロシア民衆を虐殺した。そしてそれに対する報復の色彩が濃い、1945年の満州へのソ軍侵攻、続くシベリア抑留。シベリアのラーゲリでの苛酷な強制労働下では、罪のない日本人が六万人近く殺されたのだ……。冷戦中声高に唱えられた北の脅威論の残滓もいまだ日本人の心の奥底にあり、消えることのないロシアへの警戒感につながっている。かの国への好印象をもたらすような材料を探すのは、難しい。
 しかし、お吸い物の器を手にとりそこに塗られたうるしの美しさにじっと感じ入っている、青い瞳の少女の横顔を見ていると、両民族の間に横たわる積年の誤解もなんだかあっけなく氷解していくような気が、私にはしてきた。
 「今度は、私が、自分でボルシチを作りマス。そして、あなたに食べてもらいマス。イイデスカ?」
 まっすぐにこちらを見つめてしゃべる、ターニャの穏やかな笑みを前にした時、不意に、私は、彼女を力強く抱き寄せその柔らかに流れる金髪に顔を押しつけて、あたりをはばかることなく大声で笑い出したくなるような──そんなふうな思いに、捕らわれたのだった。