双子の姪

 死ぬことを恐れるあまり自殺する人たちがいるとして、さて、彼らの思索性の欠如による論理的矛盾、その救いがたいほど繊弱な心の在り方を批判することはたやすいが、しかし、むしろ私は、彼らの『死』への親しさを、その情緒の安らかさこそを祝したい。それはさながら、小春日和の日曜、祖父の三回忌のためひさかたぶりに集まった親族の輪の外で、午後の薄日を浴びながらひっそりと毬(まり)突きに興じている双子の姪の姿に、生の一回生を覚えるように。自分もまたいずれ闇の中に消えていくだろう既定の未来に、眩暈に似た喜びを覚えるように。双子の姪の手から毬がこぼれおち、私の足元に転がってくる。私はそれを拾い上げ、疲れ病んだ顔つきで微笑みながら、二人の少女にそっと手渡してやる。「叔父様」姉か妹か、私には見分けのつかない双子の片方の少女が、おずおずと声を上げて言う。「お爺様は亡くなりました。それに続いて、私たちのお父様も死につつあります。そして、叔父様、あなたももうすぐ消えてこの世界からいなくなるものと思われます。では、さて、ここにいる私たち、双子の姉妹も、やがては死滅して虚無の沈黙の中に還っていくのでしょうか。そのようなことは、信じられないのです。私たち姉妹は、なんだか死ぬことなく、これからも永遠に生き続けるような気がするのです」その年齢には不釣合いな思慮深い光を瞳に浮かばせながら、恥じ入るように小さな声で少女は言った。一方、もう一人の少女、取り残された双子の姉か妹は、悄然とした姿で一人ぼっちの毬突きを始めるのだった。今交わされた二人の対話には、まるで興味などないかのように。