クズロルダの出来事に寄せて

夜道。
ウシュバ山の峠の見張り小屋の窓から明かりがもれているのが見える。


「誰か守りの任に就いているのだろうか?」


私が不思議に思い小屋の窓辺に近寄り中を覗きこむと、一人の少女がテーブルのランタンの灯を前にして、
わびしげにス一プの皿をすすっているのが見えた。


「マナト」


コツコツと窓を叩き、そっと彼女の名を呼ぶ。少女がひょいと顔をあげ、こちらの方に目を向けた。


猫のような目をした少女だった。
その黒い瞳がびっくりしたように大きく見開かれていた。


私が窓の外から中の様子を見つめ続けていると、彼女はスープのスプーンから手を放し、恥ずかしそうにうつむき、
両手をひざの上に置いて、女の子にしては大柄なその体躯を椅子の上で小さくちぢこめて固まってしまった。

そういえば、この辺の山岳地帯にすむ少女たちは、食事を取っているところを異性に見られるのを嫌う風習があったのを私は思い出した。


「邪魔したね、マナト」


私は小屋の中の彼女に手を振ると、真っ暗な山道を村の方へ下っていった。
灯りの乏しい村の夜景だったが、私が泊まっている宿屋の二階の灯りはまだ点いたままになっていて、
それを目標に岩の転がる坂道を気をつけ気をつけおりていった。


それにしても、マナトは変わった少女だった。
あんな村はずれの見張り小屋に、夜更けに一人でこもったりして。
こんな時代に、山賊でも現れると思っていたのだろうか?
その時は、村を守るため、小屋にある旧式のボルトアクションライフルで賊と戦うつもりだったのだろうか?


とにかく、変わった子だ。


ある日、村の粉引き場の前を通りかかると、石の塀に寄りかかりうつろな目で山の頂のほうを眺めているマナトの姿に出会った。
彼女は、しばらくそうしていたが、不意に、ぴくりと頭を動かし、何かに聞き耳を立てるかのように、
じっと虚空の一点に耳を傾け始めた。
それはさながら、動物――たとえば猫科の動物が、ここにはいない、見えない「何か」の気配に気づき、
警戒して耳をそばだてているかのような光景だった。


「何をしてるの?」


私がたずねても、彼女は長身の体を背後の塀にくっつけたまま、視線をそらし、何も言葉を返してくれなかった。


そう、村で見かけるマナトはいつも一人ぼっちだった。同年輩の友達は、誰もいないようだった。
谷間の渓流のそばの岩にぽつんと腰かけ、ぼんやりと、川面の変化を見つめている彼女の後姿を見かけたことも、何度かあった。
鼻歌ひとつ歌わず、ただ無言のまま、いつまでも川べに座り続けている孤独な少女――。


クズロルダを旅した時のことを思い出すたび、同時にまたマナトという名の少女についての記憶も心の中で甦るのが、私の常だった。