一兵卒の戦争

id:mamirinさんの某所の書き込みで、昨日の深夜、お盆に放送されたNHKスペシャ
『一兵卒の戦争』http://www.nhk.or.jp/special/libraly/04/l0008/l0813.htmlの再放送をやってたと知る。

DVDに永久保存してあるが、誇張でもなんでもなくこのドキュメンタリー作品を私はこの八月が終わるまでの間本当に何十回も繰り返し鑑賞した。

今から六十年前、中国・雲南省では日本軍と中国軍・米英軍との間でいわゆる援蒋ルートの争奪をめぐり、激烈な戦いが繰り広げられていた。
激戦地・龍陵での戦いには、のちの芥川賞作家・古山高麗雄
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/04/l0008/l0813s.html
も一兵卒として送り込まれた。

米軍式装備の重慶軍による圧倒的な砲爆撃の中、タコツボから出ることもできず、降り注ぐ冷たい雨にずぶぬれになりながら古山は断じる。彼は一兵卒の立場から、この戦争は愚劣以外の何物でもないと。
なぜこんなところで、一体何の目的のために、兵士たちはネズミのように死んでいかなければいけないのか?
そのとき感じた疑問、憤りが、戦後、古山に亡くなるまで龍陵での戦争体験を書き続けさせた。

古山は日本軍という組織を構成する神がかり的なまでの異常な精神主義を、淡々とした文章――しかしそこには極度に抑圧された怒気が隠されている――でもって批判する。

「惨死」を「散華」と言い換え、「全滅」を「玉砕」と言い換え、どう考えても戦力差から完全に勝ち目のないと分かっている戦闘に、
「死して神になれ」と、白痴のうわごとのようなまったく内実の欠けた精神主義を押し付け、次々と下級兵士を前線に投入し無駄死にさせていく、無能な指揮官たち。
一兵卒たちは、戦線から撤退しようとすれば、後方の司令部から「卑怯」「裏切り者」と一方的に断罪され、敵前逃亡の罪で処刑されてしまう。
・・・・・・どこにも逃げ場のない、つまりかならず死ぬしかない消耗品としての運命を前にして、古山は再度思う。

「なぜこんな愚劣な戦いで死んでいかなければならないのか?」


このドキュメンタリーには、龍陵で戦った第二師団の生き残りの老人たちが出てきて、カメラの前で、実際にその場であったこと――忘れてしまいたい、しかし死ぬまで必ず憶えていなければならない自身が味わった過酷な体験について語る姿が映し出されるが、このシーンは何度見てもその証言の重さに私は言葉を失いただただうつむいて沈黙せざるを得ない。


――私は、「あいつは右翼だ」とか、「あいつは左翼だ」とかいうくだらない二元論で人の精神の種類を区分し、靖国がどうの九条がどうのと、
それぞれお互いの戦争観を感情的に攻撃しあうような馬鹿たちが大嫌いだが、
「本当の戦争を知らないくせに真顔で自分の戦争観とやらを開陳して、しかもそれについて平気で恥じない」
という点においては、私もその馬鹿たちと同レベルの軽薄な精神構造なのだろうと思うと、ひどくやりきれない気持ちになる。と同時に、
「それのどこがいけないんだ」と、いっこうに悪びれた様子もなく開き直って平然としている、
そういう自分がいるということもまた真実である。


くだくだと冗長な文章を連ねたが、とにかく言いたいことは、


「NHKスペシャルの『一兵卒の戦争』、かならず観ろ。なんならおれがDVD焼いてやるからYo!ブラザー」(NHKに著作権の問題で訴えられる?)


と、ただそれだけの簡単なことなのである。


・・・・・・あと、ぶっちゃけここで言っちゃいますが、実は私、
『軍用少女教程』なんて同人誌作ってしまいましたが、
ほんとはね、白状しますが、私は戦争における人の「死」には大変興味がありますが、
実は戦史とか戦略、戦術には興味がないし、軍用兵器とかもあんまり好きじゃないんですよ。
ゼロ戦だろうがレイ戦だろうが、栗田艦隊が反転しようがしまいが、そんなのどっちだっていいじゃねえかてやんでえバーロー!(東京都北区十条あたりの下町なまりで)


先生! ミリタリーオタクの男子はアニメオタクの男子よりも気持ちが悪いと思います!(そばかす三つ編み女子学級委員長が勢いよく席を立ち手を上げながら。放課後のホームルームで。教室にたちこめる波乱の予感)