アヴェ・マリア

世界は少女に死を望んでいた。
──いや、正確に言えば、それは少女がそう勝手に判断していただけの事だった。
『世界』が、『私』の死を望んでいる──彼女はそう思い込んでいた。
その心の強い思い込み、強迫観念は、少女のかかりつけのカウンセラーの診断によれば、
『極度の心理的認知の歪み』に他ならなかった。カウンセラーは少女に各種抗鬱剤向精神薬の服用を強く勧めたが、少女はそれを拒絶した。
いわく、

「脳内の神経伝達物質の調節で、人の人生の幸・不幸が決定される──それは『魂』への冒涜以外の何物でもない。──むろん唯物論者の私は、死後の世界も永生も、また、天使の臨在も信じてはいないが、だが、しかし、今こうしてここで苦しみもがいている私の『魂』が、単なる大脳生理学の枠の中に還元され完結してしまう様な事は、断じて、容認できない」

とのことなのだそうだ。

「『魂』の特権性を主張する唯物論者」という矛盾を内包して生きる──いや、着実に死に親しみつつある少女。ところで、ここで彼女が言う『魂』の実体とは、一体何なのだろうか……?
さておき、少女は、深刻な鬱、精神医学の術語で述べれば、脳内セロトニンの極度の減少状態に陥っていた。
死の臭いが、周囲に色濃くたちこめ始めた。
生の意味が、もはや失われつつあった。

そうして、とある初秋の、とある夕刻のひととき。
窓から夕陽が差し込み黄金色に染まった室内。
右腕で両目を隠すように覆い、ベッドに横たわっている少女。
枕のかたわらには、一台の小さな短波ラジオが置いてある。
ラジオの周波数は、バチカン市国の海外放送に合わされていた。
かすかな雑音混じりの歌が流れている。
曲名、「アヴェ・マリア」。
少女は思う。
こんな宗教歌曲が流れている中で死を選んだりしたならば、『世界』からあらぬ誤解を受ける事になる──それを危惧した彼女は、生の側に今は何とか踏みとどまる事を決める。

ラジオの歌はまだ続いていた。
ふと、少女の心の片隅に、先年自殺した知人の中年男の姿が浮かび上がった。
その中年男は、ある日、薄暗い喫茶店の片隅で少女を前にして不器用な笑みを浮かべながらつぶやいた。

──信ずれど、十字は切らず

と。
なぜその言葉を今になって思い出すのだろうか。
少女は自身の心の動きをいぶかしがった。

短波ラジオの歌が終わった。今室内には、低いささやき声、イタリア語でしゃべる男の声が聞こえる。

──この人は、なんと言っているのだろう

相変わらずベッドに横たわり両目を右腕で覆い隠したまま、少女は、外国からのラジオ放送にじっと耳を傾け続けた。