カラシニコフ

 ――トウキョウでも家にカラシニコフを置いていますか?
 ヴォルガ・ドイツ人の少女は、青い瞳をこちらに向けて首をほんのわずかにかたむけた。私が日本ではカラシニコフどころか、拳銃すら家には置いてない、ここ、タジキスタンとはちがって、と答えると、
 ――平和な国なんですね、あなたの祖国は
と、カーテンごしの夕日の淡い光の中、長い金髪を美しく輝かせながら、小さくため息をつき、ロシア語でもタジク語でもない、おそらくドイツ語で何か小さくぶつぶつとつぶやいた。『ファーターラント』、彼女のつぶやくその一語だけが最後に聞き取れた。
 スターリンによって中央アジアに追放された一族の末裔、そのヴォルガ・ドイツ人の少女は、長らく続いた内戦で家族を全員失い、この家でたった一人の生き残りの身だった。そして今、そのひざの上には亡き父の形見であるAK−47自動小銃が置かれ時折少女の細い指がその銃身をとんとんと叩いていた。
 ――あなたは無神論者ですか? それとも、ムスリム
ふいに話題を変えるように少女は異国からの旅行者である私に問いかけてきた。カラシニコフから視線をあげて私を見つめる時に彼女の肩の金髪が流れて輝くのが見えた。
 ――さあ、ムスリムでないのは確かですが……
 私の乏しいロシア語の語彙では、「不信心な仏教徒である」という説明をうまくできそうになかったので、あいまいに答える。すると少女は、
 ――私はキリストを信じていますが、それはロシア正教のものではありません。私はラスコーリニキです
と、ひざの上のカラシニコフに相変わらず手を置いたまま答えた。
 ――ラスコーリニキ? それはどんな宗派ですか?
 今度は私がたずねた。
 すると、ちょっとの間青い瞳を細め、考え込むようにうつむく少女。
 ――ドストエフスキーの『罪と罰』はご存じですか?
 ――カニェーシナ
もちろんです、と、私は答えた。
 ――あの小説の主人公の名前、ラスコーリニコフというのは、このラスコーリニキという言葉をもとに作られたんですよ
 そう言って、少女はなぜか恥じらうように微笑み、再びひざの上に置いた亡父のカラシニコフを手のひらで優しくなでた。
 なんだかちぐはぐな会話だなと、夕暮れの近づく薄暗い部屋の中、椅子の上で困惑気味にしていると、窓の外のどこか遠くからコーランの詠唱を流すスピーカーが聞こえてきた。
 ――ああ、この村で生き残っているヴォルガ・ドイツ人は私一人だけになってしまいました
 少女は悲しげにつぶやく。そうして、ひざの上にカラシニコフを置いたままずっとそれを手放そうとしなかった。