穏やかな生活・第2話


登場人物

・奥様……物腰上品な初老の女性。郊外の丘の上にある古い館に独り住んでいる。その国の陸軍の元情報将校。

・レノア……立派な魔女っ子メイドになるべく、魔法の世界からこちら側へ修行にやってきた女の子。三つ編みお下げ。銀髪銀眼。もちろんホウキは標準装備。残念ながら眼鏡はかけていない。


「穏やかな生活」



 さすがにその国の首都のセントラル・ステーションだけのことはあった。列車が到着したプラットホームの周囲は、実に大勢の鉄道旅客たちの姿で溢れかえっていた。
 使い込まれた革製の古風な旅行鞄を片手に、彼女は、長距離列車の一等客車からホームへと降り立った。
 ――列車での長旅は、さすがにこの年ではもうキツイわね……
 人混みの間をぬって進みながら、彼女は小さくため息をもらした。しかもさらにうんざりすることに、旅はまだ終わりではないのだ。今度は別のホームから出ている郊外行きの路線に乗り換えねばならなかった。そうして鈍行列車に揺られてさらに数時間後、ようやく田園地帯の丘の上にある自邸へと帰り着ける予定なのだった。

 その時、ふと彼女は、目の前を流れ動く群衆の姿の間に、メイド服を着た一人の少女が立っているのを見つけ出した。その子は自分の背たけより大きな一本のホウキを両手で胸に抱き寄せている。行き交う人々の中から誰かを探し出そうとしてるのか、銀色の瞳だけが左右にせわしなくキョロキョロと動いていた。
 どことなく心細そうな表情をして、プラットホームの隅にぽつねんと立ちつくしている少女――。
「レノア。まあ、わざわざここまで迎えに来てくれたの」
「あっ、奥様! お帰りなさいませ」
 少女――レノアはぱっと笑顔になると、ホウキの柄を抱えたまま人混みの間を器用にすり抜け、三日ぶりに会うおのが主人のもとへと小走りに駆け寄った。


「一人で留守番をしているのが寂しくなって、屋敷を抜け出してきたんじゃないの?」
 列車は郊外へと続くレールの上をゆっくり走っている。かたんことんと揺れる客車の座席に腰かけながら、彼女はそうつぶやいた。軽く叱責するような声音だったが、しかし彼女のその目元を良く観察すれば、そこにはメイドの少女をいつくしむ優しげな雰囲気が漂っているのがわかった。
「……すみません。最初は村の駅でお待ちしているつもりだったのですが――なんだか、急に、じっとしていられなくなって――気がついたら、首都行きの切符を買ってて……」
 向かい合って座っている主人の前、レノアは、自分の軽率な行為を恥じたのか、ほほを朱色に染めて車内の床へ目線を落とした。 
「レノア、切符代はどうしたの?」
「はい……。今月頂いたお給金の中から出しました……」
「あらあら。安い出費じゃなかったでしょうに」
「でも、こちら側の生活で、お金を使うようなことは他にこれといってないですから……」
 目を伏せたまま小声で答えるレノア。
「そう……。まあ、ともかく、首都の駅まで迎えに来てくれたのは嬉しいけど、あのホームの雑踏の中で私を見つけ出せなかったら、どうするつもりだったのかしら?」
「私は魔法使いです! どんなにあたりに人があふれていても、その中から奥様のお気配を感じ取り必ず見つけ出せます!」
 レノアは勢いよく顔を上げると、真剣な表情をして目の前の主人を見つめた。
 ――だけど先に姿を見つけたのは私の方なのよねえ……
 真面目な態度を崩さずにじっと自分の瞳をのぞき込んでくるレノアを見つめ返しながら、彼女はのどの奥でクスッと小さく笑い声を上げた。


 車窓の外に流れる風景は、いつのまにか郊外の緑豊かな田園のつらなりへと変化していた。丘陵の向こうの空は初夏の青さに輝き、その中にちぎれた雲の白色の断片が、ぽつんぽつんと浮かんでいるのが見えた。
「――それでね、大佐ったら、でっぷり太っちゃってて。本人は、――どうだ、紳士らしい貫禄がついただろ、なんて笑ってたけど。他のみんなも昔の姿とは大違い。特に軍を退役した仲間なんかは、もう公園のベンチで日向ぼっこしてるのがお似合いのおじいちゃんみたいに。……まあ、そう言う私だって、あんまり他人のこと笑ってはいられないけどね」
 彼女が今回の旅で訪れたのは、その国の北方に位置する、とある大きな軍都だった。かつて同じ部隊にいた古い戦友同士の集まりが開かれ、そこで彼女は数年ぶりに旧交を温めてきたのだった。
 レノアは、好奇心いっぱいの、純朴な少女らしい面持ちをして、何度もコクコクとうなずきながら、彼女が語る旅の話に熱心に聞き入っていた。
 レールに小石でも乗っていたのか、ガタンと列車の座席が揺れた。彼女はそこでいったん言葉を切り、しゃべるのを止めた。その際、ふと、レノアの隣の席にちょこんと立てかけられている一本のホウキに彼女の目が引きつけられた。
「……ねえ、レノア。そういえばあなた、いつも屋敷の外に出る時はそのホウキを大事そうに抱えているけど、やっぱり魔法使いはホウキを持ってないといけない、そういう決まりでもあるの?」
「はい、そうです。奥様」
 レノアは微笑みながら、かたわらのホウキに手を伸ばし自分の胸の中に抱き寄せた。
「これは私が魔法使いであることの、象徴です。魔法の世界に属する者としての、身分証明書とでも言ったら良いでしょうか……。――たとえば私は、当然ですが、こちら側のいかなる国の旅券も持っていません。でも、代わりにこのホウキがあります。ホウキを持っていれば、魔法使いはどの国でも好きな土地に渡ることを許可されます。そう、世界中のいたる所を旅することが可能なんです」
「……ああ、そういえば、そんな古い条約が、こちらとあちらで結ばれてたわねえ」
 彼女はレノアが抱えているホウキを観察するように眺め続けた。
「……ホウキには、何か魔力が込められていたりするの?」
「はい、魔力を有しています」
「……どんな?」
「護身用の魔力を」
「……どれくらいの威力?」
「たいしたことありません。こちら側の世界の、小さな軍艦を一隻沈められるぐらい、その程度の力しかありません」
 そうしてレノアは、ホウキの長い柄を両手で持ちそれに自分の片ほほをぴたりとくっつけ、ちょっとはにかんでみせた。
「あら。なんだ、もっと凄い力があるのかと思ってたのに。街ひとつ吹き飛ばすとか。フリゲートぐらいの艦を撃破可能程度の攻撃力、それだけなのね……。そう……」
 あごに右手をあてながら、ふーんとうなずく彼女。
「……しょせんただのホウキですから」
 レノアはそう言って可愛らしく口元を緩めた。


 列車の速度が落ち、車輪から伝わる振動も徐々に穏やかになっていった。館のある村の、小さな駅まで、もうすぐの距離だった。
「……つくづく思うわ、ここは本当に何もない田舎。首都とは大違い」
 車外の風景を横目で眺めながら、彼女はひとりごちるようにつぶやいた。
「……でも、とても素敵な世界だと思います、奥様」
 レノアが言う。
「奥様、ご覧下さい。ほら、牧草地の羊の群れがアナウサギよけの石垣の間を進んでいます。とてもかわいいですよ? ……向こうには、たくさんの色の花が咲いています。魔法の世界には、あんな明るく綺麗な色の花々はありません。それに、丘の尾根では、ツツジの緑の茂みが輝きながら風に揺れていて……彼らは何のひそひそばなしをしてるんでしょうか……ちょっとレールの音がうるさくて聞こえません。……あっ、奥様、窓を開けてもよろしいですか?」
 ――どうぞお好きなように、と、彼女はひざの上で両手を組みながらにっこりとして答えた。
 車窓の下半分を両手で持つとレノアをそれを上にあげた。開いた部分から、風が流れ込んできて、レノアの銀色の二本のおさげを背中から後ろになびかせた。
 レノアはいきなり窓から頭と肩を外に突き出し、前髪が吹きつける風に激しく乱れるのも気にせず、目を細め、そして、田園のはるか遠くで畑仕事をしている誰かの姿に向かって、大きく何度も何度も手を振った。相手の人物も列車から身を乗り出しているレノアに気がついたらしく、持っていた鍬(くわ)を片手でちょいと頭上にかかげて、しばらく線路の方に向き続けていたが、しばらくすると、やがてまた、地面をいじくる作業へと身体を戻した。
「橋向こうの農家のヴィトリファイさんでした」
 窓から頭を引っ込め、座席に腰を掛け直し、額にかかった髪の毛の乱れを直しながら嬉しそうにレノアは言った。
「ああ、ヴィトリファイさんだったの。遠すぎて私にはわからなかったわ」
「――今のが一番素敵なこと……。そうなんです、奥様」
「えっ?」
「美しい自然があって、その中で人間が暮らしていて……」
「それが?」
「人間は皆すべて死すべきさだめの存在です。その人間が、今こうしてあそこで、まだ死なないで生きていて、自然の中で働いている、そんな光景ほど美しいものは他にはありません……。命がいのちとしてそこに在る、なんて不思議で素晴らしい世界……。やっぱり、こちら側にやって来て良かった……」
 それは確かに微笑だったが、しかしまたどこかしらなんだか寂しげな雰囲気も感じさせるような奇妙な陰を横顔に漂わせながら、魔法使いのメイドの少女は車窓の外の移りゆく景観に見入っていた。
「あなたが話すこと、時々、謎々(なぞなぞ)ばなしみたいで、私よく理解できないわ」
 そう言って彼女はちょっと困ったように苦笑してみせた。


 列車は首都からその郊外の村の駅に、ちょうど二時間で到着した。
 あまり村から出たことがないレノアにとっては、それはちょっとした旅行気分を与えたらしかった。館に戻り、夕食後、主人に許されて同席したお茶のテーブルで、レノアはその日の列車での小旅行が如何に楽しかったかについて、少々子供っぽくもある興奮した口調でしゃべり続けた。
 一方、レノアの主人である彼女はというと、何も言わずただ黙りこみ、室内のランプの柔らかな明かりの中、じっと穏やかな笑みを浮かべながら、メイドの少女の話に耳を傾け続けているのだった。